郷土の偉人である権田直助1809年~1887年(文化6年~明治20年)の石碑は、武蔵台の木綿沢交差点に立札とともにあります。
また権田直助に弟子入りし医学の道に進んだ日高市北平沢の高林謙三(1832年~1901年、天保3年~明治34年)と桑田衡平(1836年~1905年、天保7年~明治37年)兄弟の生家跡記念碑のことはこのホームページでもご紹介しています。
自治会役員で広報部副部長の女性が桑田衡平の顕彰を広く伝える方々の一人でもあったことや、権田直助の石碑がこの武蔵台にあることなど、少なからず自治会とも縁が深いこともありご紹介をしています。
高林謙三は桑田衡平の兄にあたりますが外科医であるとともに、製茶機の発明家でもありいろいろな角度から世に紹介されています。高林謙三の銅像はいくつかありますが、武蔵台やこま武蔵台自治会会員の方々に身近なのは、日高市生涯学習センターの入り口に立つ銅像となります。
明治の時代に活躍した郷土の偉人の形骸に触れられる場所でもあります。桑田衡平は明治の最初のころに医師の国家資格を取得する医術開業試験の出題委員として活躍された人でもあります。のちに野口英世がこの医術開業試験を正規の大学を出ない者の登竜門として受験し、その難関試験を見事に一発で突破しています。
野口が受験した医術開業試験の前期試験は、1896年(明治29年)9月にあり満年齢の20歳で合格しています。翌年10月には後期試験で80名中4名の合格者に入っています。野口英世の猛勉強は有名ですが、何年もかかる前期後期の医術開業試験を短期間で突破しています。権田直助と高林謙三、桑田衡平、野口英世の4人は、医学の道でつながっる偉人として知ることになります。
武蔵台木綿沢交差点、日高市北平沢の高林謙三、桑田衡平兄弟生誕地の記念碑、そしてJR高麗川駅ヤオコーすぐそばにある生涯学習センター構内の高林謙三の銅像は、武蔵台に住む方々にとても身近な人となります。意外のなところで桑田衡平と野口英世がつながっていたことも興味深いこととなりますね。
時間のあるときにこの三か所の石碑や記念碑そして銅像を見ていただくと、郷土愛もまた今までとは違った形で沸いてくるかもしれませんね。ぜひ皆さんの散歩やウオーキングの途中で足を止めてみてください。
深まりつつある秋の紅葉とともに知的刺激もよいかもしれません。武蔵台から北平沢までは徒歩で約1.5時間、約7kmほどです。また生涯学習センターは約6kmほどで健脚の方には丁度よい距離かもしれませんね。どうぞ挑戦してみてください。