郷土の偉人桑田衡平生誕180年と絵本朗読会

野口英世(1876年~1928年/明治9年~昭和3年)の偉人伝については、40代以上の大人の方々は子供のころから、トーマスアルバートエジソンとともによく知っている医学者だと思われます。

ロックフェラー大学内の野口英世の胸像 1998年7月18日撮影

野口英世は現在の埼玉県本庄市の盲目の江戸時代の国学者、塙保己一を大変尊敬していました。学歴はなくとも学力があった野口英世の生涯についてはよく知られています。野口英世は学業は優秀でも医学校にいけるだけの学費がなかったため、明治時代に医者になるための道の一つである、医術開業試験の前期後期試験の双方を短期間で受験しそれぞれ一発で合格しています。後に京都帝国大学で医学博士、東京帝国大学では理学博士を取得しています。郷土の偉人である桑田衡平は野口英世より40年早く、江戸時代の終わりの頃となる、1836年(天保7年)現在の日高市北平沢(当時の平沢村)に、やはり医師である兄の高林謙三の弟として生まれています。

高林謙三。桑田衡平の兄弟生誕の石碑/北平沢

北平沢交差点近くの高林、桑田の生誕地の石碑

北平沢交差点の近くの民家の片隅に兄弟誕生の地の記念碑が、平成23年に建立されています。近くにはこま武蔵台自治会広報誌の「武蔵台だより」(352号2017年5月1日発行)で「わが街・わが地域・わが暮らしの豆知識」に寄稿していただいた、長澤酒造株式会社があります。桑田衡平は昨年生誕180年ということで、郷土の偉人を再評価し知るための催しがなされています。そのなかでこま武蔵台自治会広報部副部長の渡部優子さんが、自治会活動とともに日高市の偉人の桑田衡平について、入江武男氏の文と挿絵を渡部優子さんが絵描き出版をしています。

渡部優子さん(自治会広報部副部長でもあります)

入江武男氏の文と渡部優子さん絵による出版本

今年の武蔵台夏祭のミニSLと子供たちを描いたポスター、同じく第2会場のショッピングセンターの青空市などの絵や写真構成のポスターを精力的に作成してくれています。もともと武蔵台中学校の元PTA会長をはじめ地域住民とのコミュニケーションにたけている方で、とても大きな子どもがいるお母さんとは思えない若い活力のある人です。自治会ホームページでも桑田衡平の絵本の朗読会の催しや、毛呂山の国学者で桑田の最初の師である権田直助の石碑が、木綿沢の交差点にあることなどをお知らせすることなどにも力を注いでいます。

武蔵台木綿沢交差点の権田直助の石碑と案内板

桑田衡平は兄の高林謙三の後をおい権田直助を師としてあおぎ、その後川越鴨町の漢方医横田良平の塾に入り。19歳の時に江戸へ出て蘭学を学びます。桑田衡平は英語医学書翻訳の実績があり、医学界に大変貢献された人と伝えられています。先日105歳でなくなられた聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんが、かつて「成人病」と言っていた病名を「生活習慣病」と呼称し、日常生活の改善に努められた姿が重なります。桑田衡平は現在でも日常使用されている多くの病名を日本語に翻訳しています。現在その病名は定着しているものが数多くあります。癌、狭心症、糖尿病、胃潰瘍、肺病、インフルエンザ、ヒステリー、痛風、白血病、パルピテーション、デング熱等があります。

桑田衡平、明治30年(1897年)頃の写真

野口英世は正規の医学教育を受けられず医術開業試験という、当時あった国家試験を受験していますが、桑田衡平は野口が受験する10年ほど前には医術開業試験の問題作成者として名前をつらねています。この郷土の偉人桑田衡平について絵本を出版しまたそれを子供さんたちに朗読会の催しが、本日7月23日(日)に高麗神社で開催されました。武蔵台や日高市だけでなく飯能市など近隣からも,お父さんお母さんにつれられ、桑田衡平の初めての話しを郷土の偉人として知る機会で学んでいました。飯能・日高テレビも取材していましたので近日放送されるでしょう。

渡部優子さんの絵本の朗読会の風景、高麗神社

桑田衡平は1905年(明治38年)に数え年で72歳でなくなています。日本で活躍した明治初期の西洋医学の普及に貢献した桑田衡平は日露戦争が終わった年になくなっています。野口英世は明治34年(1901年)東洋汽船(後に日本郵船に併合)の亜米利加丸で渡米しています。そしてのちに現在のニューヨーク州のロックフェラー大学(当時のロックフェラー医学研究所)で梅毒の研究により成果をあげています。その後、黄熱病の研究でガーナのアクラで帰らぬ人となっています。現在ニューヨーク州のウッドローン墓地に、妻のメリー夫人とともに眠っています。

手前メリー夫人。後方野口英世の墓、1998年

ここにはタカジアスターゼで有名な高峰譲吉博士も眠っています。桑田衡平は谷中霊園に眠っています。渡部優子さんの絵本の朗読会は、これまでも長く活動されており、普段の声とはまた違う大変聞きやすい、透き通る声で子供たちに語りかけていました。小さいお子さんもじっと耳を傾けていました。午前10時30分から約25分の朗読会の後、展示室にて桑田衡平の生い立ちや業績を知る機会がありました。

桑田衡平の生涯と業績の展示室と見学者の姿

桑田衡平と高林謙三の生誕の地の碑がある場所は。高麗神社より約2キロメートル先の北平沢交差点の民家の角となります。武蔵台からはおよそ8キロメートルの場所にあります。興味と関心のある方はぜひ郷土の偉人の碑の探索におでかけになられたらどうでしようか。渡部さんの絵本を読む会は7月30日(日)に2回目があります。自治会のこのホームページの開催ご案内記事をご参照ください。絵本については現在品薄状態ですが自治会にお問い合わせいただければ、購入等や桑田衡平についてさらに詳しい情報をお届けできると思います。