木綿沢の信号機の横に石碑があります。飯能から日高の台に抜ける道の改修工事の記録が書いてある石碑です。
この石碑があることをご存知でしたか?きっと知っている方が多いとおもいます。この石碑は国学者・権田直助氏のものです。埼玉県の偉人、高林謙三氏と日高市の偉人、桑田衡平氏の初の師匠です。高林謙三の弟が桑田衡平です。たいへん貧しい小作の兄弟。貧しい二人は想像を絶する苦労を重ね勉強を続けました。その努力が認められ養子に行ったことで兄弟は名字が違うのです。兄の高林謙三が初めて勉強に行った先が毛呂山の権田直助。まもなくして兄を追って桑田衡平も勉強に行きました。この権田直助氏との出会いが日高市の偉人の兄弟を世に送り出したのかもしれませんね。
明治3年この辺りは西川材で有名な杉林、当時は下草や小枝も貴重な燃料の時代。きっと山も手入れが施されていたのでしょう。飯能から台に抜ける道を多くの着物に足袋姿。竹の水筒におにぎり、地元の名物のお饅頭や四里餅。杖や提灯も持っていたのでしょうか?そんな姿をした旅人が過去に私たちの街を歩いていたのですね。ふっと…想像してしまいました。