明治39年(1906年)9月、日露戦争が終わった翌年に文豪夏目漱石は有名な作品である草枕の冒頭で「山路(やまみち)を登りながら、かう(こう)考えた。智に働けば角が立つ。情に掉(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」と語りかけます。
「住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて画(え)が出来る。」武蔵台は住みにくさが高じることもなく、どこかへ引っ越すのではなくここを終の棲家として住みたいという方が多く住んでいます。かつて大学の入学試験に出た頻度の高い冒頭の一節も、年齢と時代が進むにつれて感じ方も読んだ印象も、その方の人生と経験とともにだいぶ変わってきますね。
武蔵台の方々は自然の中で、よく散歩やウオーキングをされています。。健康寿命を延ばし高齢化社会と子育てにも、住みやすい街として自然な街の姿かもしれませんね。日高市も武蔵台や横手台にかけて、山の緑は益々豊かになります。同じ埼玉県東部や南部と比較しますと、風景は大きく変わってきます。武蔵台から歩いてでもいけるJR八高線高麗川駅あたりまでたどりつきますと、多峰主や日和田山の峰々はすでに遠い風景として目に映ります。
武蔵台5丁目、6丁目の間の西武の森を脇に見ながら坂道を降りていきますと、西武鉄道の車両基地が現れます。そこを降りてマミーマートの横を通り最初の交差点をゴルフ場に向け渡りますと山路に入ります。ここは日高市ではなく飯能市ですが、夏目漱石と同じようになにかを考えながら山路を登ると、山の上にある公園に着きます。開けた山の上の公園から眺められる風景は、米国コロラド州デンバーの山脈(やまなみ)を彷彿させます。
デンバーは標高が高く、米国のアルプスのような高原とリゾート地です。冬はスキーやスケート、夏はコロラド川の冷たい水の河畔でキャンプなどで賑わいます。なんだか故郷の高麗川の清流と山なみと緑を思い起こさせます。
山の上の公園を通りすぎ山頂のなだらかな道を歩いていきますと、飯能市の端にある富士見峠に至ります。そこから見える風景には名前の通り富士山が眺められる場所ですが、普段はよほど天気に恵まれていないと拝めない姿となります。富士見峠で小休止しそこから平坦な山路を歩くと、日高市に入り標高177メートルの高麗峠に至ります。
武蔵台に長年住まわれている方でも、名前は知っているけれども実際に行ったことがない場所かもしれません。緑が豊かな、なだらかな山頂付近となります。高麗峠を過ぎますと飯能市宮沢湖方向へは右に向かう山道と、左に向かう日高市の巾着田への道に分かれます。巾着田へ坂道を下りますとドレミファ橋の上にたどりつきます。
高麗川の清流にかかるドレミファ橋を渡りますと、9月中旬から500万本を数える曼殊沙華の花園の場所に着きます。まだところどころに1~2本づつ人知れず咲く、一輪の花がひっそりと、仲間の花が咲くのを待っているかのようなたたずまいで咲いています。もうじき日本でも有数の曼殊沙華の華やかな姿が現れる季節となるでしょう。
今年も9月16日より曼殊沙華まつりが開催されます。全国からは多くの皆さんが日高市と武蔵台周辺に訪れることと思います。巾着田へ最寄り駅は西武池袋線高麗駅下車となります。巾着田へは徒歩で10分ほどの場所となります。
武蔵台は高麗駅を中心に山の手に細長くのびる住宅地です。高齢者にはややきつい坂道もありますが、10月からこま武蔵台自治会が運行する移送サービスが始まります。
住みよい街づくりと武蔵台住民のコミュニティが益々発展していくことを期待していきたいですね。利便性の向上を含めひとつづつ解決していく手だてを皆さんとともに講じていきましょう。健康寿命を延ばし豊かな人生を送れるように、高齢者も若い方も子育て世代にも住みよい街に益々していきたいものですね。