先日、武蔵台の歴史を聞きました。当時、日本は高度経済成長期。金の卵と言われ多くの青年が地方から大都市で夢を抱き働いていました。その頃、空気はとても悪く光化学スモッグ注意報なども出たり、川や海は汚く魚が住めないと問題になり、東京湾をはじめ各工業地帯近隣の海はひどく汚れていました。
人口は都心近郊に集中し下水道などのインフラもまだ整備され始めた時代でした。そんな時代にできたこの住宅地。夢の住宅地と言われていました。洗濯機用の水道はお湯が出ること。洋風の出窓や造り付けの食器棚。ウォーキングクローゼットや各部屋にあるクローゼット。
各家にきれいな駐車場と門、玄関を完備。整然ときれいに揃った家々。下水道の処理場がある自然に優しい住宅地。東京近郊にはこの時代、団地やマンションが多く建設された中、戸建ての洋風住宅地はとても魅力的だったそうです。金額も当時では「高値の華」と言われる金額でした。
武蔵台ショッピングセンターは今年で40周年です。住宅地の中にスーパーマーケットがあり、飲食店やお店があり金融機関も銀行と郵便局。総合病院、交番、駅などすべてが揃っていました。近隣地区の人も買い物に集まり、賑やかな場所でした。ショッピングセンターがオープンして3年後。
今から37年前に武蔵台小学校が開校しました。それまではお隣高麗小学校に通学していました。県道15号線は今より狭くトラックの往来も多かったので武蔵台小学校開校は保護者の方にとってとても安心した出来事だったのでないでしょうか?
そして時代は平成に変わりました。武蔵台中学校は平成元年に開校しました。来年で30周年になります。それまではお隣の高麗中学校に通学していました。その頃はまだ横手地区はなく武蔵台中学校の横手台に向かう道もありませんでした(*’ω’*)
平成と言う元号もまもなく終わりを迎えようとしています。そんな中、武蔵台中学校は30周年準備委員会が発足し、先生、生徒さんの30周年記念への思いを形にするために準備をしています。全国的に学校の統廃合が進んでいます。武蔵台小中学校もいつかそんな時代の波に飲み込まれてしまうかもしれませんね(>_<)…。
30年前の中学3年生は45歳になっているのですね。社会では中堅の働き盛り。家庭を持ち子どもがいる方も多いのかもしれません。また、自分の生き方を謳歌している方も多いかもしれませんね。当時、小中学校の児童数はとても多く、各ブロックごとに通学班があり賑やかでした。また、中学受験をする子どもさんもとても多くいたそうです。
子どもさんのことで時にはケンカをしたり、スポーツを通して熱く応援したり、受験や反抗期など悩みを共に乗り越えるなどたくさんの出来事がありました。公園にはたくさんの遊具があり子どもたちが大勢遊んでいました。
近年少子化の影響が武蔵台も顕著に現われています。以前は町内にあるすべての公園で多くの子どもさんたちの元気に遊ぶ姿を見ることが当たり前でした。あれから40年という時間の中で遊具の痛みが目立ち年々撤去されていっています。その代わり健康促進器具が置かれているところもあります。
さて、今日も武蔵台の時間は進んでいます。ここに書かれていることは武蔵台の歴史の一コマです。
もっともっとたくさんの想い出がこの武蔵台にはあります。そして一コマは今日も増えていっています。武蔵台の歴史と各地区、班、家庭の歴史を残していけるといいですね(*‘∀‘)